会社員が多く利用する、その喫茶店は駅に隣接する通りにあった
朝、6時30分開始
週末は6時に開けているという
オレンジ色の電飾スタンドには喫茶カナリヤの文字
玄関前のスタンド置いてあるメニュー表にはA~Eまでのモーニングセット
D.Eにはドリンク料金プラス200円
店長の雅さんはドリンクにはこだわった
フルーツ系ドリンクからコーヒーまで100種類はあり、頼んだ際に入れる器はそれぞれ違う どれもかしこも店のインテリアにされていて、そのときの、お客さんの雰囲気で雅さんが選ぶ
モーニングセットのCとEにはおにぎりが付いてくる、味噌と漬物も手作りで
その日の気分でおにぎりの具材は変わる
何年も、何十年も、この場所で、雅さんはこの中から見える世界を見続けてきた、何処かに行く途中のお客さん、ここが目的というお客さんに対して
グレーのバックを左手で持ち、帽子をかぶるグレーさんはモーニングAのブレンドで
一度見た、タイツが印象的な紫式部さんはモーニングCのグレープフルーツジュースで
備え付けの経済新聞を必ずとる、眼鏡さんは日替わり。
ここ最近の常連さんはスマホさんだ 全てをスマホで完結されるから、そう名付けた
スマホさんは数人いる
店を始めた当初、近い年齢だったお客さんも、ここで雅さんが過ごしている間に何時の間にか、誰かの大切な人になったり、仕事で転勤したり、地元に戻ったりで少なくなり(もちろん、駅中のカフェに流れたお客さんもいる)常連さんの顔ぶれもずいぶん変わった
急激な変化が訪れたのは、会社を辞めた孫に夜の店を貸してからだ
油で固まっていた換気扇が、本来の色を取り戻しつつある
手の届かなかった電球はLEDに代わり、自分が死んでも、その店の一角は光を照らすようになった
喫煙スペースが分けられた
小さなカナリア家族(レプリカ)が出窓に置かれた
丸い、学校にあったような時計が、時刻を知らせる鳥になった
2枚器が割れて、新しいのになった
…レジが…ややこしくなった
店構えが変化するにつれ
カナリアは深夜バスの停留所からも近いこともあいまって
いままでは、会社員がメインだった客層も、週末を迎えるととうちわを持った、雅さんの孫世代の子が何人も訪れるようになった
自分が生きた時代を、最近は昭和レトロと呼びメロンジュースが売れた
喫茶カナリアのはげかかった看板も、拭いても落ちない絨毯のシミも
全てが「エモい」らしい
当初、雅さんは自分だけが歳をとったかのような錯覚に陥った
分からない言葉で会話する彼ら、彼女らの服装を若い頃、見たような、見なかったような気もする
でも、会話を聞き続けていると、解らない言葉の反面、やっぱり、どこかで見聞きしたような内容だと思う
そんなとき、雅さんは「ああ、やっぱり人は人だなぁ」と安心もする
口は出さない
雅さんが経験した事を、この子たちはまだ、なにも知らない
時には無謀にも思えることも、不安過ぎて前に進めないような会話を聞いても、すべてが、その時にしか経験できない感覚や感情なんだ、と思う
それが、出しゃばって、大人の理屈を話してはいけない
心配、と言って 足りない経験を教えてはいけない
彼ら、彼女らに必要なのは此処の場所なんだから
だから、雅さんができることは、美味しいモーニングを出す
行ってらっしゃいといらっしゃいませ、おかえりとだけは言おうとしている
ここは喫茶カナリア あなたの心の風景
今日も営業中